布施琳太郎 / Rintaro Fuse

親指のテリトリー

2018年

インクジェットプリントに絵具

親指のテリトリー
この指を、青い塗料がたっぷり入った缶のなかに差し込む。ペンキをすくい取って青くなった指先からとろりとろり、ぽたたぽた。暖かくも冷たくもない液体のなかで指と世界の境界がなくなった。そうこうするうちに乾いてしまってパリパリになった皺、関節、青い膜。遠くにある肌と肌を近づけてこすり合わせると、粉末状の青が大地に降り注ぐ。目の前にある顔の上を、這いずり回る青。その板に「親指のテリトリー」と名付けたのが3年前。

青。それだけが、僕だった。

誰かとの距離を調整するために、これまでの制作があったのだとしたら、青い指の僕は、浜辺の砂のなかに生まれたあなたとの距離を調整するための絵を描きたい。だからそのためだけに作られた曖昧な顔をどこかの浜辺に置いてきました。打ち寄せる波に流されることなく、この惑星の一部として、風に舞う砂をかぶる地球儀。これまでよりも青くなった星。潮が満ちたときだけ、その台座が少しだけ海で濡れる。そういう作品が作りたかった。

僕に向けられたわけではない言葉を、僕のためのものとして受け取ること。あるいはあなたのためだけに作った作品が、他の誰かにとってかけがえのない青になること。

そういう勘違いのなかでなら、僕たちは惑星になることができるのかもしれない。

“Memory Vague” という曲を聴きながら、あなたの詩を読むことができる(ジャケットには ”The Fall Into Time” と書いてある)。誰もいない夜の公園であなたの詩を読むことができる(遠くで若い学生が集まって飲み会をしている)。美術館のなかであなたのことを思い出すことができる(嘘で作られた彫刻の横を通り過ぎる)。でもあなたの名前を知らないから、あなたの前で、その名前を呼ぶことができない。そういうことが僕にとって、どれだけの救いで、世界にたいしての希望となるか……曖昧な出会いに感謝をつたえるのではなく、ひとりきりの部屋で「ありがとう」と口にだすことの方が大切なのかもしれない。

石鹸は、油と水を混ぜることを可能にするんですって。すれ違うはずだったものたちの境界が活性化して、ひとつの液体になる。芸術とはそういうものであってほしい。あるいは、そういうものに私はなりたい。

——本作の制作から3年後の2021年の夏に書いた日記

展示写真
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