惑星ザムザ
小高製本工業跡地
新宿区牛込神楽坂にある小高製本工業の跡地ビル、全6フロアを用いた展覧会。布施は作家選定、作品相談、タイトル付け、ハンドアウトの執筆などを行なった。言葉にあふれた現代のなかの「テキスト以前の物質性」の糸口として、フランツ・カフカの短編小説『変身』を着想源として、ある朝目覚めると非人間の異形となってしまった主人公のグレゴール・ザムザの名前を引用。善悪や虚実が混ざり合った今日の社会のなかで、インクや唾液、電気信号、埃、塩基配列などの物質を通じて、未来を遺し、書き、記し、物語り、撫で、描く方法を模索した。
自主企画の展覧会としては異例の広さの会場で展開された本展の来場者は、迷路のように入り組んだ工場跡地を巡りながら芸術作品を観測することになる。多くの鑑賞者に恵まれ、布施にとっても大きな転機となった。展示の様子は以下のリンクを参照していただきたい。
→ 展示会場の映像
→ 美術手帖 - 「カフカの『変身』の主人公から名付けられた場所で観測されるものとは」レポート
→ 美術手帖 - 布施琳太郎「最高速度で移動し、喘ぐ『キメラ』」批評
→ 美術手帖 - 石田裕己「「観測」と「変身」のはざまで」批評
→ artscape - 村田真「惑星ザムザ」批評
開催概要
日程:2022年5月1-8日(追加オープン5月14、15日)
時間:12:00-20:00(最終入場19:00)
入場料:1000円
住所:162-0834 東京都新宿区北町41
主催:株式会社ユニーク工務店・リレーションシップ
企画運営:田中勘太郎、布施琳太郎、株式会社ユニーク工務店・リレーションシップ
キュレーション:布施琳太郎
デザイン:八木幣二郎
協力:株式会社欧友社
展示:
青柳菜摘
石曽根和佳子
倉知朋之介
小松千倫
宍倉志信
竹久直樹
田中勘太郎
中村葵
名もなき実昌
BIEN
藤田紗衣
布施琳太郎
百瀬文
MES
オリア・リアリナ
横手太紀
米澤柊
ステートメント
経済産業省の文化遺産である名村造船所跡地を会場として開催された布施琳太郎によるキュレーション展『沈黙のカテゴリー』から一年。新宿区内に位置する製本工場跡地のビルの全6フロアを舞台として、『惑星ザムザ』は姿を現す。この展覧会の観測は、私たちが、なにものともつなげられていない孤独な存在だった記憶を回復させるだろう。
いつの時代も、歴史や現実は、人々の想像力によって解釈され、語り継がれ、描かれることで組織され直し、ありえる/ないかもしれない形態へと何度でも変質してきた。この変質こそが、人間に可能な、最も知的で複雑な営みである。しかし極限まで情報化された今日の社会において、歴史や現実の再組織は学者や芸術家、政治家の特権ではなくなった。匿名の人々によって際限なく拡散する言葉とイメージによる織物は、それぞれの状況において、あまりに自由に、虚実や善悪を超えた言説を作り出していく。
だからこそ『惑星ザムザ』は、テキスト以前の物質から思考を開始する。それは芸術作品の制作の根拠を、書物的な理性ではなく、インクや唾液、紙、明滅、線、面、電気信号、塩基配列、振動、空気といったマテリアルに求めることだ。これら物質が、安定したテキストやコンテキストに到達することなく、身勝手な生命活動を開始した状況を観測することこそ『惑星ザムザ』の目的である。
ザムザとは、フランツ・カフカが110年前に書いた小説『変身』における主人公の名前である。ある朝、目を覚ましたザムザは、醜い虫になっている。彼の家族は、昨日までとはまったく異なる姿になってしまった彼を、これまで家族であった記憶に基づいてケアするが、そこに待っているのは際限ない孤独だ。
製本工場跡地を舞台とした本展が、『変身』を題材とするのは、それが布と糸のあいだで振動する物語だからである。物語に至るまでのザムザは、布地の販売員をしていた。布地、それはtextileであり、textの語源である。そしてtextileは、編まれた糸によって作られたものだ。この展覧会で僕が垣間見たいのは、編まれた糸がひとつの布地になることに失敗し続ける物語である。
その失敗から未来について考えたい。いくつものマテリアルが、見たこともない異形を形作る惑星で、私たちの生きる社会の未来について考えたい。そこでどんなテキストが書かれることができるのか、何を物語ることができるのか、どんな夢を見ることができるのか。
そのための旅路として、ここに『惑星ザムザ』を開催する。
プロローグ(ハンドアウトより)
ある朝、不吉な夢から目を覚ますと、そこは埃にまみれた惑星だった。さっきまでの部屋はどこか遠くに去ってしまって、ひたすらじっとりした湿度が、この肌とコンクリートを関係させている。壁に埋め込まれた窓は、ちりちりした砂のようなもので覆われていて景色を色にしていた。色になった景色は距離を失わせる。だから、べっとりした湿度のなかのざらりとした摩擦だけが近い。
太陽が映像になる。
気がつけば立っていた。だから歩いた。この身体の横を通過する、いくつかの人影に顔はない。たぶん私にも顔がない。私は私を失った。そうしてあなたは巡る、迷う、まわる。
それでも、誰かを探していた。私が私でなくなっても、私のことを愛してくれるような誰かを。
私が私の名前を呼ばれても、振り返ることができなくなった私を、それでも愛してくれる誰かを私は探している。棄てられることが定められた人生を生きていたかったんです。だからもしもあなたが私を棄ててくれるなら、そのやわらかい落下に身を任せてみたい。
誰もいない部屋から声がした。
田中勘太郎(本展共同企画者)『下書きの上のミイラ』2022年、写真=Keizo Kioku