布施琳太郎 / Rintaro Fuse

連続個展企画

2019年

四谷未確認スタジオ

連続個展企画

銭湯だった空間を改装したアートスペース「四谷未確認スタジオ」を会場として、3名の若手作家の連続個展を布施琳太郎がキュレーションした。すべてが手作りであり、作品案を話し合い、自分たちで在廊し、手入れすることで開催された。この3名の作品や思考は、その後の布施の活動にとって欠かすことのできない重要な影響源である。

告知文(当時のサイトより)

この企画で僕が実現したいことは、まず第一に現在最もフレッシュでアクチュアルなリアリズムを展開する3名のアーティストのそれぞれが個展をすることである。そして第二に、彼らが抱く「リアリズム」が今日の社会においてどのような有効性を持ち得るのかを問いかけ、検証することにある。

鈴木雄大、國冨太陽、高見澤峻介。彼ら3名はそれぞれが個別の1人として、今日の言語/イメージのシステムあるいは社会インフラの錯乱に対する具体的なサバイブの、異なるヴァージョンとして芸術を利用している。彼らに共通しているのは、その表現が「表象」から遠く離れたところで実践されていることにあるだろう。またそれぞれの展覧会の開催と併せて僕によるテキストも公開する予定である。

彼らの個展は芸術実践の新しい原理の萌芽であると同時に、今日の社会のなかで既に露出した問題ではなく、その基盤へと向かうための静かなる後退だ。その美しさと根源的な革新性に刮目していただきたい。

すべてが透明になる前に

会期:2019年8月10日–8月18日
会場:四谷未確認スタジオ
アーティスト:鈴木雄大
キュレーション:布施琳太郎

これまで鈴木は、作者自身の身体とディスプレイの画面内容との対話それ自体を表現のメディアとするような作品を制作してきました。彼はゲームや絵画、映像といったメディアを自由に行き来することで、鑑賞者と作品との対話の多様なあり方をやわらかに攪拌します。その実践は複数の異なる現実を統合するためのシンタクス(統語法)の発明であるように感じられます。今回は3つの映像再生機器のために、それぞれ異なる対話性を持った作品を制作し、展示する予定です。

本展それ自体が、すべてがobjectに一元化された地平、つまり彼が「メタ・マテリアル」と呼ぶ地平からイメージを転移させるための方法であると言えるでしょう。それはヒト・スタイヤルが航空写真などを引き合いに出しながら述べる「垂直性のパースペクティヴ」を、テクノロジーではなく個別の身体の次元で実践することを意味します。鈴木が展示空間に展開する作品は、鑑賞者であるあなたの身体へと直接的に作用するのです。若き気鋭の作家の初個展に、是非足をお運びください。

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ドライ

会期:2019年8月25日–9月15日
会場:四谷未確認スタジオ
アーティスト:國冨太陽
キュレーション:布施琳太郎

國冨の制作と作品は特異な仕方で成立しています。それはマルセル・デュシャン以降の芸術の基本的なプロセスとされる判断命名行為――まだ芸術として認められていない事物や文脈、カテゴリーを展覧会へと持ち込み、そして名前を付け――を反転させながら別の形態へと接木しているように感じられるのです。彼は芸術、そしてコンテンポラリー・アートにおける操作を、芸術ではなく私的でありながら社会的な状況、つまり遊びのなかで作用させようとしています。その作品からは、社会へのもっともらしい異議申し立てや提言ではなく、むしろ社会のなかへの静かな侵入を認めることができるでしょう。

彼の過去作『ソフトランディング』において「凧揚げ」はプライベートな命名行為へと変質させられました。しかし彼は今回、命名行為に限定されない「凧」、そして「凧揚げ」の可能性を探ります。本展は、彼が昨年から積極的に制作に採用している「張り子」の技法――粘土や木などでできた母型の上で濡らされた紙を乾かす――を用いて「凧」を作り、そして彼独自の話法のなかでオーディエンスを実際の「凧揚げ」へと誘うものです。

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Screening Organon

会期:2019年9月21日–10月6日 会場:四谷未確認スタジオ
アーティスト:高見澤峻介 キュレーション:布施琳太郎

本展のタイトルは「Screening=上映、映写、検査/Organon=器官、臓器、オルガン」、つまり直訳すると「上映器官」を意味します。本展は「映像活動」と名付けられた高見澤の特異な表現を、明確に理解させ、体験させる契機となるでしょう。

彼の作品=器官は文字通り自律しています。例えば彼の過去作『Specter』は、ディスプレイのバックライトをアルコールランプや蝋燭の光で代用しながら、そこで発生する熱と氷水の間にペルチェ素子——温度差によって電圧を生じさせる電子部品——を挟み込むことで発電までもを行うものです。それはコンセントにプラグを刺さずに、どのような環境でもデジタルイメージを再生することを可能にします。

このように発電それ自体を表現のメディアとする特異な活動を中心に、これまで彼は電力と映像の実在性を露出させてきました。そして今回の展示で高見澤は、作品としての発電をより広範なインフラへと介入させ、接続します。その作品は、今日の社会における理由のない不安を照らす灯火となるでしょう。

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