いつまでも明け続ける夜を観測する

いつまでも明け続ける夜を観測する

何不自由なく安楽に生きられる新しい条件の下では、われわれ現代人の強みだった止まるところを知らない活力がかえって弱みになる。今でさえ、以前は生きるために役立った性分や欲求が、とかく失敗のもとだろう。身の危険をものともしない勇気だの、争いを好む勇猛心だのは文明人にとって、無意味という以上に邪魔っけだ。ものごとが安定して心配の種がない世の中には、図抜けた知力も体力もそぐわない。私が覗き見た未来社会は、もう長いこと戦争を知らず、局地的な争乱も体験していないと想像するね。

——H.G.ウェルズ『タイムマシン』より



この度、2026年3月20日の日没からの24時間、インターネットに公開されたライブカメラを通じて地球一周分の日没と日出を同時に観測し続けながら収録する非公開収録イベント『いつまでも明け続ける夜を観測する』(会場は都内某所のラブホテル)を実施いたします。

映し出されるのは日出と日没だけではありません。そこには異なるタイムゾーンの景色観光客で賑わうビーチ、現在進行形で虐殺や紛争がなされている地域、噴火するか否かの瀬戸際で監視され続ける活火山の火口、高速道路、河川、人々が晩御飯のための買い物をする商店街まで——の多岐にわたる「生」が映し出されます。そのすべてを24時間かけて観測し、記録します。それは2025年大阪・関西万博の大屋根リングについて、藤本壮介が「多様なものが同じ空のもとに繋がりあう」と語ったのとは異なり「空がひとつなのに世界がバラバラ」を体現する記録となるでしょう。

以下の条件のもとで、観測と収録は実施されます。

  1. 観測者の現在位置における日没を起点として観測を開始する
  2. 地球一周分の日出と日没を24時間かけて観測し続ける
  3. 観測日は春分の日(昼と夜の長さが等しくなる日)とする
  4. インターネットに公開されたライブカメラ映像によって観測を行う
  5. 経度0.5度ずつ移動しながら1440本の映像素材(720地点の日出と日没)を収集する
  6. 日出/日没の定義は地平線や水平線などと太陽が重なり合っていることである
  7. 観測場所はラブホテルとし、すべての観測作業を一人で行う
  8. 観測の様子は非公開だが音声のみを常時配信し続ける

都内某所のラブホテルに布施琳太郎が一人で引きこもって太陽を見つめながら音声のみを配信する非公開アクションのなかで収録された24時間分のデータは、今夏の個展を構成する風景映画として発表予定です。私が試みるのは、インターネットの登場以降にしか不可能な地球のドキュメンタリーの制作なのです。この映画に限らず、今後制作予定の一連の作品やサービスのプロトタイピングとして、24時間の観測は実施されます。

これは積極的な意味で、オナニーです。オナニーのことを私は、目の前にいない誰かについて想像し、自らの肉体を通じて出会い、思いやりを育むきっかけになる二人称的な実践として捉えています。つまりオナニーとは、H・G・ウェルズの小説『タイムマシン』(1895)の主人公と同じく、周囲から切り離された異世界旅行のようなものです。オナニーのあとで、私たちは現実に戻るしかない。

そんな「タイムトラベラーとしてのオナニスト」は、かつて私が「新しい孤独」と呼んだ芸術のテーゼと限りなく近いものです。さらに言えば、目の前にいない相手に向けてラブレターを書いて送る行為と、オナニーは、不在の他者と協働する点で相補的です。

目の前にいない「誰か」について考える方法が、あまりに貧しい。そんな社会に絶望しそうになる。ソーシャルメディアは「誰か」とのコミュニケーションを即開始するように促してきます。私のアクションが戦争を止めることができないとしても、私は芸術を通じて、個々人がバラバラに生きていて、そのバラバラさを統合することができず、だからこそ存在する「想像力」の価値を示したいのです。おそらく「思いやり」とは、目の前の相手と自分のあいだに、共感不可能で理解不可能な距離があることを受け入れたときはじまるのだと思う。

このアクションを見ていただくことはできませんが、想像していただけたらうれしいです。

2026年3月20日 春分の日に 布施琳太郎