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制作ノート——人間と太陽のランデブー


0、この文章について

あなたが今読んでいるこの文章は、展示作品が完成するよりも前に書かれたものだ。なので作品解説というよりも制作における思考の軌跡を残したものである。鑑賞の助けになれば幸いだ。

中学進学と同年、iPhoneや初音ミクが登場したことに衝撃を受けた僕は、インターネットで言葉を書くこと、映像や画像の編集、そして簡単なプログラミングをはじめた。つまり表現活動をはじめた。現在も詩やラブレターを書いて、それを映像や展覧会、ウェブサイト、書籍にしている。

そんな僕が今回つくるのはバーチャル・ミュージアムである。眼に見えて歩けるのに不在の美術館。それはいまだ世界には可能性が残されているのだというささやかな希望のための、人間が動物化していく悪い場所ではないインターネットを示すための詩学=制作である。

1、接続と切断を識別できない世界

無数の情報がつなげられて虚実があいまいになっていきながら(リポストとエアリプで埋め尽くされたタイムライン)、同時に、それぞれまったく異なる正義にもとづいた擬似共同体(フォロー/フォロワーと「いいね」)へと社会が分断された時代に、なにを信じて生きれば良いのか。言い換えれば「私の傷」が「私たちの傷」とイコールで結ばれた世界で、どんな主語を使うことができるのか?

それをテーマに活動する僕は、今回の制作を美術館建築の分類から開始した。なぜなら、経済的かつ物理的な制約にしたがって実現されたり未遂に終わる美術館は、各時代・地域における思考と知の基盤たることを目指して設計されてきたからである。現代のなかで美術館建築と向き合いたかった。個々人の世界の理解を超えたコミュニケーションのために美術館は存在する。

第一に美術館は歴史の表象装置である。国立西洋美術館の設計を行ったル・コルビュジエは、その生涯において「振り出し」から「上がり」に向かう双六(すごろく)のような美術館を繰り返し構想した(現状のコレクション展示室はその類型である)。そこでは超大な歴史が単線的に示される。しかしそれだけが美術館のあり方ではない。第二に美術館は歴史の生成装置でもある。群島のあいだを行き交う船のように、複数の独立した展示室のあいだを来館者に歩ませることで、非線形の歴史を示す美術館もある(国内の例としては金沢21世紀美術館など)。

A 双六型美術館
一筆書き可能な展示動線において過去から現在までの歴史発展を単線的に構築する。ナショナリズムをはじめとした単一の歴史の表象に適している。

B 群島型美術館
展覧会ごとに、そして来館者ごとに自由な動線を作ることができる美術館。ここで脱構築とは再組織であり、歴史を次々に生成変化させる。マイナーな文化や思想の提示に適している。


現状の社会における地獄は、群島型において生成されるような断片的な物語を、単線化して語る「ねじれ」に由来する。その典型は陰謀論であり、時として現代美術家もそうした手法を用いる。点をつないで線にする。文の意味のつながりを無視して、キーボードと文字入力欄のあいだに現れる変換候補を選び間違えたみたいに、現実が変質していく。

2、二重のからだ

二つの美術館モデルを合成することはできないだろうか。三つ目の美術館建築を考えることはできないのだろうか。たしかに複数の双六型展示を組み合わせて建築全体を群島化した美術館はあるが(東京都現代美術館やMoMAなど)、そうではなく、ひとつの展示室を双六型と群島型で同時に機能させるような美術館だ。点を線にするのではなく、二つの世界について同時に語るような美術館について考えたい。

その実現のため、コロナ禍を経て普及した「バーチャル・ミュージアム」を再考した。一般的には現実の展示空間を3DCGやウェブプログラミングなどによって再現するものである。最新のコンピュータゲーム制作と同じような道具立てでつくられるバーチャル・ミュージアムは、人間の認識をシミュレーションする。それはベットルームから美術館へのアクセスに役立てることもできるが、それでは最大の利点を生かせない。

アバター(仮想身体)の認識を自分のものとしながら、コントローラーやマウスを握ること。そうして自分の認識と身体を二重化することが「バーチャル」の利点だ。一つのまま二つになる場所。今回つくりたいのは、鑑賞者の身体のなかに二つの認識を同時に住み込ませる美術館である。それはこの現実における誤変換メカニズムを知るために役立つ。

3、国立西洋美術館の誤変換

国立西洋美術館の〈本館〉は当初、規則的な無限増築と共にあることを想定されていたが未遂に終わった。それは現在コレクション展に用いられている展示室の動線を外向きに増築延長することで、双六型のまま、オウムガイのように螺旋状に拡大成長させる計画だ(本展の〈企画展示室〉は後から増築されたのでコレクション展示室とは断絶されている)。

だが調査を続けるなかで別の可能性を発見した。それは太陽を重要な光源として〈本館〉が設計されたことだ。太陽は卍型の採光窓を通じて分割されながら館内で反射する。もしも人間ではなく太陽光を観測主体にすることができるなら、双六型の展示動線を群島型へと再組織することができる。国立西洋美術館は6350mm四方の正方形(6×6=36個)をグリッド状に組み合わせて設計されており、人間は中心から二階に侵入して外側へと螺旋状に移動する。これに対して太陽光は上方からグリッド内へと侵入しつつ分散するのだ。

つまり本作は、人間と太陽のコミュニケーション回路をひらくことで、国立西洋美術館を双六型と群島型の変換モデルとして捉え直して出力したものだ。それが三つ目の美術館である。観測主体の変換は、バーチャル・ミュージアムの考えに則って実現可能であり、その光景の制作は芸術表現としてなされるべきだと僕は考える。それは今回、骰子(さいころ)の持つ「正方形の組み合わせ」と「乱数発生装置」の二つの性質において表現される。骰子とは漢文訓読における返り点やヲコト点をランダムに打つようなものである。

X 骰子美術館
双六型と群島型を相互に変換するバーチャル・ミュージアム。鑑賞者の身体を強制的に二重化し、幽霊のようなもう一人の自分と出会わせる。一人きりのままで二人になることができるので、孤独なデートに適している。


ここにあるバーチャル・ミュージアムは一篇の詩である。詩とは世界の変換可能性であり、あなたの指先が変換候補を生じさせるメカニズムの解析だ。だが、この文章は詩ではない。それは今、展示空間に流れる時間のなかにある。

2024年2月6日
布施琳太郎



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