僕は僕のことを「僕」と書く——芸術と男性性、そしてその暴力についてのノート
布施琳太郎
 このノートは、この数日に見聞きしたことについての葛藤のなかにいて、いままで自分が考えてきたことを改めて言葉にしておくべきだと考えて書かれました。 ***  僕は芸術を信じている。これはたんなる思い込みだ、信仰とも言えるだろう。そして人々が、それぞれの胸に秘める信仰の対象が異なるのは当たり前だし、それらは互いに尊重され合うべきだ。身勝手な信仰と、他者の尊重。両立し難いようにも思えるこれらを、それぞれの思考のなかで共存させることが可能な時代に私たちは生きているのだと僕は信じていたい。  それぞれの思い込みを否定することは、誰にもできないだろう。胸中の宇宙にひとつのピラミッドを立てて、そのなかにそれぞれの信仰の対象を保存すること。それは自由だ。しかしそれをヒエラルキーの頂点に置いてはいけないし、さらにもしそこに置かれたものが芸術である場合……それはあまりに抑圧的に働く可能性がある。つまり芸術は、たしかにひとつの概念であるのだが、それと同時に行動の形式でもある。つまり芸術それ自体がひとつの政治的行動であることを私たちは忘れてはならない。ここで芸術を政治的だと述べる意味は、何かを抑圧し、他者の実存を否定する暴力である可能性を内包しているということだ。なぜなら芸術の歴史とは勝者が、なにかを抑圧することで成立させてきた面があるからである。しかしそれでもそれぞれの信念、そしてそれに基づいた行動。それ自体は否定されるべきではない。だがこの行動が先人たちによって作られた形式のなかで行われる場合、個別の信念こそが、特権的で安全な位置から同時代に生きる誰かを傷つけ、正義を押し付け、そして差別を行うことにつながる可能性がある。  しかしそれでも……僕は人生におけるすべての出来事を、芸術を起点に捉えてきた。それは僕の世界の中心に、芸術があるからだ。だがこれを他者に強要しようとは思わない。数多ある思考と行動のなかのひとつのヴァリエーションとして、僕はそれを選択したに過ぎないのだから。そして芸術が、普遍的で全人類的な概念でも行動の形式でもなんでもなく、西洋近代に発明された真新しい技術に過ぎないことを前提として、これを思い出し続けなければならないと思っている。  ここには葛藤がある。僕は芸術を信じているが、この信仰は無制限であってはない。しかしこの葛藤を捨てて、芸術だけを物差しに世界を見てしまいたくはない。なぜなら芸術はまず勝者の歴史の現れであり、そうであるからこそ政治的な抑圧の形式になってしまう可能性があるからだ。 ***  ところで僕は僕のことを「僕」と書く。一人称単数に関しては、そう書くことに決めている。ちなみに一人称複数を記述する際は「私たち」だ。僕を「僕」と書くことは、個別の身体の性自認(そしてとある物語ジャンルに対する自分勝手な嗜好)に基づいた結果に過ぎず、それは客観的で抽象的な身体を仮設する際——つまり「私たち」と述べるとき——には周縁に過ぎないからである。しかるに僕が「僕」という言葉を好んで使う理由は、自分をひとつの個別的な身体として扱うためだ。書き手=布施琳太郎の身体が実在する事実をテキストが読まれる体験のなかに配置するために、僕は「僕」という一人称を使用している。そして発話者(あるいは筆者)の身体を表現したいという意思は、一人称を「僕」とする選択だけでなくテキストを書き進める際は、そのすべての過程において徹底したいと考えてきた。例えば、ひとつの段落の長さをあえて140字程度で揃えながら、その間に短い段落を挿入することで視覚的なリズムを作ったり、体言止めを行った後で長い一文を入れてみるなど……それらはテキスト自体がひとつのリアルなモノであり、コトであることを意識して書いているからである。これらはSNS(主にTwitter)における触覚的な言葉のあり方を、SNSの外で活用するための実験だ(いま書かれているこのテキストは表現ではないので、そうした拘りはないが)。つまりSNSにおいて醸成された思考を、SNSの外で、より長いテキストへと再構成するのではなく、むしろSNSにおいて本質的な触覚性を自らの表現に還元するために主語の選択をはじめとした気配りがあるのである。  しかしそれと同時に「僕」という代名詞が、この身体を離れて抽象的な男性性へと回収されてしまうとき、主語の選択自体が安全な場所から誰かを抑圧することにつながっていく。それは「歴史」(history)が、「his story」(男性の物語)なのだと指摘される瞬間と同様、現在の技術的、経済的状況のなかでは時代錯誤な主語となる可能性があるのだ。実際、自分の書いたテキストが暴力として機能する可能性を十分に理解できていなかった時期は、「私たち」ではなく「僕たち」という複数形の主語を使用していた(『新しい孤独』というテキストだ。しかしこれによってこのテキストの内容のすべてが価値を失うとは思っていない)。その後、一時期はそもそも「僕」という言葉すら、テキストのなかに出すべきでないのかもしれないとも考えた。しかし最終的に、すくなくとも現時点では、「僕」という主語を危険を冒してでも使用していきたいと考えている。自分のアーティストとしての態度を徹底するために(それは『新しい孤独』をステートメントとした場合の態度である)。 ***  資本主義経済を尺度とすれば、東京やニューヨークをはじめとした大都市が世界の中心にあることは間違いないだろう。しかしまったく異なる尺度の元では、東京やニューヨークはひとつのローカルな地域に過ぎないことに気が付く。それは芸術も、男性性も同じだ。重要なことは、それぞれが互いにローカルであることを引き受け、自分は御山の大将に過ぎないことを理解し、他者を尊重することである。  他者の尊重。それは端的に述べて、いつでも、誰に対しても「自分が間違っていた」と言える準備をすることだ。過ちと黒歴史と共に歩みながら、それを修正し、人生をまっとうすること。そういう時代に僕は生きていたい。  しかるにグローバル化の裏面として、すべての地域・文化がローカル化したこと。これをひとつの身体のレベルで少しでも引き受けるために、僕は僕を「僕」と呼び続けたいと考えている(もしもそれが叶わないと分かったときは、もう一度立ち止まらなくてはならないだろうが)。 ***  僕が「今日の」芸術を信仰するのは、ここまで述べたような想像力を僕自身が得ることができたからだ。空港に置かれたモニュメント、大量のガムテープ、100億円で落札された油絵、廃ビルでなされるパーティ、万里の長城を歩いて出会う恋人同士、美術館で配られたタイ料理……一見、脈絡のないものたちが、複数の異なる尺度のもとで、しかし一様に芸術と呼ばれる。それはすべてが互いにローカルであるという想像力を前提としているのだ。  つまり今日の芸術は、勝者の歴史の表象ではない地点で行われている(と、僕は信じ込んでいる)。だがその上で、僕が危惧するのは、こうしてすべてを芸術と呼ぶことが可能な状況のなかで、「芸術」という言葉がそれぞれの行動を脱政治化するための魔法の言葉としても使用される点にある。たしかに個別の行動は、それぞれ否定されるべきでないことだ。その時点では、相互に引きこもりの状態にある。だが芸術だと述べることで、それぞれの政治性を隠蔽しながら普遍性の傘を被るのは、ただの権威主義であり、暴力であり、そして差別だ。  ここではじめて批評が必要とされる。批評家ではなく、批評が必要とされる。  それぞれにローカルな、互いに尊重をしてはいても接触することのなかったはずの行動(=芸術)の政治性を浮き彫りにし、ぶつけ合わせること。それこそが批評の役割である。批評は価値判断——これは美であるか否か、などの判断——のためだけにあるのではなく、交通整理のためにあるのだ。批評があってはじめて、それぞれにローカルな行動は社会のなかで格別の意味と位置を得るだろう。こうした役割を批評が放棄するとき、それぞれのローカルな行動は互いに抑圧しあって、暴力へと変質する。 ***  みずからの行動が、芸術と名指される領域で行われるからこそ、それが脱政治化されているものとして振舞うことは欺瞞である。むしろそれが漂白された暴力の形式であることは、西洋の歴史=男性の物語の延長に立つ以上は事実なのだ。  まだ僕はまとまった意見を述べることはできない。しかしそれでも芸術の政治性が暴力へと変質する可能性を思い出し続けながら、個別の身体を、新しい孤独へと誘っていくための行動の形式として僕は芸術を選択したのだということを記しておきたい。 (2020年7月8日)