Dear you
あなたは勉強ができてユーモアがあって、みんながあなたのことを好きでした。
あなたは本来は僕の対岸にいるような人でした。
しかし何の偶然か、あなたと僕が同じ空間に対等にいたのです。ちょっとの間でしたが…
些細な会話、笑い方、少し癖のあるノートの文字、僕に動物が好きだと話す嬉しそうな顔、流行りの芸人とJ-POP、夏の白い半袖…いくつか覚えています。
あなたは今、どこにいるのでしょうか。きっと〈遠く〉にいると思います。
でもこれ以上それを考えるのはやめます。たまたま出会ったのは希な幸福だったのです。
あなたとみんなが楽しく元気でいることを望みます。いつまでも。
Love you,
me
お元気ですか?わたしはまあまあです。
でも、まあまあというのは多様なものが混ざりあい、どの方向にも矢印が向きはじめる可能性を孕んでいて、疲れて顔をあげたらよく知っているのによく知らない見慣れた景色だった、そんなふうにどこまでもだらだらと続く暖かい幸福なのだ……とかなんとか、あなたなら言いそうで面白いです。
お酒は飲みすぎていませんか?これから春になって、それから夏が来たら、きっとまた一緒にビール飲もう。ビールは年中おいしいけれど、気温の高い季節にあなたと飲むビールほど、おいしいものは無い。これは万が一、あまりのおいしさにビールの妖精が飛び出してきたとしても、ちょっといまは大人しくしてて!と言って、わたしはそいつを身体の後ろに隠す。それくらい味わい深いのです。なにも話さなくなってニコニコするだけになっても、どうか許してね。
最近いやだったことの話は、ほんとうはあなたにしか話したくないし、最近いやだったことの話は、ほんとうはあなたのしか聞きたくない。だって、お話をしていた夜のことを思い出すと、なんだか声と言葉が空気に溶けていくところをふたりで見送っているようで、おかしいの。まるで京都の五山の送り火を、どこか眺望のいい場所からふたりで眺めるみたいに。それくらい、わたしたちがいたことが形になって赤々と燃え、そしてばかみたいに文字どおり燃え尽きたら、どんなに良かっただろう?
でも、あなたは命短く燃え尽きてしまうもののことは、あまり好きではなかったね。せっかくなら太陽の塔みたいなやつ建てよう!あなたはきっと、そういうふうに考えるタイプだった。
そういうところ、すごく憧れるから真似したいけど、やめておきます。わたしはあなたを想って山に火をつけるから、あなたはわたしのことを想って太陽の塔みたいなやつを建ててね。
さらさらさん
もう、触れないほうがいい気がしますが、
あなたにはラブレターらしきものを送りつけていたので、
10年ごしに振り返るべきなのかなと思っている今です。
バレンタインのカード(こどもみたいなテキスト)
もう会えそうにないと確信したときのメール(暴力的なポエム)
あの時それが精一杯だったから、
(特にメールに関しては)後悔はしていなかったけれど、
距離もある中で「思いやり」が欠けていたのかな。
もっと「普通」の言葉で表現するべきだったんだろうけど、
あの内容の方が伝わるとも思っていた。
ズレていたのですね、そもそも。
私はあなたの事が好きだったけど、
隔たりがあって突破しようともしなかった。
だから最後くらいは本音を言おうと思ったのです。
自分なりに「わかりやすく」したのですが、
直接的な表現は「危ない」という関係性でもありましたし、
それに、あなたはたまにいかれた発言をしていたのでそっちの方が伝わるかと思って。
ひえたゆび なぜあたたかい 飼い猫感度
まだ、たまに思い浮かびます。
ごらん、また夜が過ぎていくね
きみは見ていた?
わたしは見ていないよ
もう飽きてしまったんだ
あまりにも、つまらない
わたしたちがあの星からきたこと
わたしときみ以外に
誰も知らないんだもの
それでね、そのことは忘れろと言うんだ
ひどいよね
わたしたちが呼吸をするために
たくさんの理由が必要になってしまったんだよ
かなしいけど、これがなかなかおもしろい
きみは無理におもしろがらなくてもいいからね
こういうのはさ、ほんとうはどっちでもいいんだよ
きみが光を捉えていることすら
夜に溶けてしまうんだもの
知らない人がね、赤ちゃんを産んだんだって
ある人は、仕事をがんばったんだって
ある人は、炎上しているんだって
ある人は、とんでもなく悲しんでいるんだって
それとね、図書館にいったら
あまりにも本が多いものだから
なんだかよく分からなくなってしまったんだよ
きみは狂ってなんかいないさ
きみは狂ってなんかいないからこそ
……
わたしたち、どうしたってまた傷つくだろう
でも、なんだかむしろ嬉しいんだよ
わたしたちが傷つかないでいられるのは
この部屋のなかと、夢のなか
それだけでじゅうぶん
嘘かもしれなくても?
まあいいじゃない 今晩くらいはね
よかったら
また来てね
永遠に 届きつづける 夢のなか きみは知らぬが それがいい
電気代すら 払ったことないのに マルモのおきてになったら子どもを愛せると話す きみ
ギャンブルと ラーメン二郎が 好きだったきみ それだけだったら とうに殴ってる
日体大 二日酔いでも 朝からRUN その根性自体 なにかに使える
自慰行為 ふいに復活する興味 おもちゃのスイッチ 入れたらうるさい
ぶさいくな 猫の写真をながめてる わたしもそれだったら そばにいられた?
起きたくない ただ金属のように 街はつめたい あなたがいないことなど 大したことない
上司
わたしがあなたのことを好きになっても、ただ時間が過ぎ去るのを待たなければならないことを分かっているので、ほんとうはこんな気持ちになんかなりたくないのです。
あなたの話っていつも難しくて、一度じゃ理解できない。そういえば、わたしは昔から学校の先生の話とか聞くの苦手だったって、あなたのせいで思い出したのよ。ほかの子は、せっせとノートを取ったり、手を挙げて質問をしたり、黒板に答えをスラスラ。よくそんなに、すぐに反応が出来るなあって感心してしまう。そのあいだ、わたしは机に突っ伏して眠っている。「震度5!」って言いながら、数学の先生がわたしの机をガタガタ揺らす。クラスで1番カッコいい野球部の彼(ピッコロに似ている)はもっと熟睡していて、金縛りにあっている。わたしたちはいつも眠っていた。
わたしだけに向けられた、あなたの声を聞いてみたい。あなたは、わたしの目を見るの。わたしも、あなたの目を見るの。そうしたら、わたしは口に出す言葉と、あたまのなかで話す言葉が、ズレていくのだと思う。届いて!届いて!って。そのときわたしは、目の奥に湖をつくるの。水分の気配だけでは駄目。わたししか知らない湖をつくる。そういう目にしてみせる技、わたし知っているのよ。きっと、ふだんより魅力的にみせられると思う。実際わりと、成功してきたんだから。生きてきたなかで、たくさん練習しているんだから。たしかめてほしい。あわよくば、かわいいなって思ってほしいに、決まっている。
ああ!もう、考えるのが嫌になってきたからお酒たくさん飲みたい。けど、だめなのよ。きのう、恵比寿で終電が無くなってしまって、ひとりで朝まで居酒屋にいた。暇だから、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読んだ。むかし読んで、よく分からなくて途中でやめてしまったけれど、改めて読んだらおもろかったんよ。まえはどの辺りからつまらなかったんだっけ?忘れた。この話のなかにも、いま書いてるような、だらだらと冗長な内容の手紙が出てくるわ。わたしの好きな小説って、そういうシーンがよく出てくるの。池澤夏樹とか、吉本ばななとか。わたしそういうのが好きみたい。わたしそういうのが好きみたい。
あなたの好きなものについては、ひとつも知らないの。なにが好きなのかは何となく分かっていても、どうしてそれがあなたという命に密接し始めてしまったのか、その歴史、ちいさなちいさな誰も知らない歴史。それをピンセットでつまんで、プレパラートに閉じこめて、顕微鏡で覗き込んで、なるほど、こんな感じね、ふんふん。ってディスカッションしたいのです。
そんな日が来るといいなって思うけれど、もし来なくたって、あなたを思ったこの夜は確かにあったのです。きっとそれだけですね。
あなたのことが気になっています。始めは、何も感じていませんでした。
でも、日を追うごとに気持ちが膨らみ、こうして手紙を書いています。
海の美術館を知っていますか。私は海岸線を、ずっと歩いています。防波堤の上を、下を見ると、テトラポッドがゴロゴロ転がっていました。空は曇っています。その果てにガラス張りの小さな美術館があります。中は静かで冷んやりとしています。この美術館はまだ存在していない?三次元世界の中では?
行ってみたら、面白そうだと思いませんか。
あなたがサン=テグジュペリの「夜間飛行」をわたしに買い与えた理由が、いまならすこし分かります。これを読み始めるまでに5年くらいかかってしまったけれど、その過ぎていった様々な時間は、喜んでこの手からこぼれ落ちるのです。登場人物たちが、その愛らしさと理性によって、毎瞬あたまのなかで詩を紡いでしまうところ。その詩を持ってしてようやく、人間や自然と対峙し仕事を進めることができるところ。死がまったく特別でないような気配を、童話のようになるべく優しく散りばめるところ。しかし物語を孕んだその先の夜闇は、そのまますべてを終了させるだけの闇であるというところ。そのすべてに共通する、100年前と100年後が突然結びついた場所にいるような緊張感。わたしなりに感じる「あなたの形」を、ページをめくるたびに答え合わせします。
嘘なんかひとつもない。魅惑的で創造的で本物のラビリンス!だから、わざと保守的。そういうの、わたしの大好きなあなたです!
ささやかな幸福は見えづらかったのに、悲劇はまるでカウンターアタック
どちらにせよ、たしかに生きていましたね。
あなただけが、あなたの物語を語る権利があるのでしょう。そうであってほしい!
いまはどこの国にいますか?
またバングラデシュ人にカラーチェックを教えていますか?
ガンジーが言いそうなことを思いついて、ひとりで笑っていますか?
ブラックジョークばかり言うところとか、わたし好きだけど、それをいっしょに面白がれるひとと出会えてるといいなあ。
「きみは○○大学だから頭が悪い」とか、わたし以外には言わないでほしい。
あなたが、「そんなに目立たないような飲食店でも、もしコロナ禍で潰れたりしたら、世の中がまた少し寂しくなる」って言ったとき、その「世の中がまた少し寂しくなるときの音」が聞こえる、あなたのような大人がいて、ほんとうにうれしくなった。そのときのわたしの気持ち、知らないでしょう。恥ずかしくて直接は伝えられません。
あなたがどこかで生きていれば、わたしも大丈夫な気がします。
あなたが思うよりもずっと、強くそう思います。
あなたとの思い出でいちばん好きなのは、お花といっしょに小さな花瓶をもらったときに「ショットグラスみたい」と、こっそり思っていたら、「それショットグラスじゃないからね」と言われたことです。
それ以外、ぜんぶ忘れてしまっても構わないくらい好き!
わたしの大好きな小説家のあなたへ
あなたが死んで、今年で53年目になるようです。いまでも、あなたの存在は魅力的に語られ、言論人のウェビナーのテーマとかになり、研究され、映画なんかも作られ、命日にはSNSで「没後〜年」といったニュース記事が流れてきたりします。
あなたは、こんなわたしたちをみて、何と言うのでしょうか。「きみたちの生きる今は、そんなにつまらないのか」とか言うでしょうか。それとも、少なくない「わたし」たちが、あなたの残した言葉や存在感と向き合いつづけ、思い出しつづけることを、喜ぶでしょうか。
わたしは、あなたが残した言葉たちを、ずっとずっとあとになってから辿っているに過ぎません。わたしだって、きのう自分自身が言った言葉に、すでに同意できなくなっちゃう日とかある。それなのに、わたしたちはあなたの言葉をまるで、そこに自信をもって据えられる、大きい石のように扱います。
しかも、それすらあなた自身の何億分の1くらいでしかないのかしら?と思うと、不思議でたまりません。文字どおり、すでに手は届かないのですから。話しかけたって、返ってこない。確かめようと、もがく手段さえ限られるだろう。「死んだ人間とは対話ができない」ということは、当たり前だけども、いかに重いのか。ときどき考えます。
それでも、あなたが、あなたの対峙する可能性・真実(と呼びたいもの)になるべく届こうと、そして時にはポジティブな諦めすら哲学にしようと、迷って迷って死んでしまったこと、そんなこと想像することしかできないけれど、わたしは考えます。何度もあなたの言葉を読み、そのときのわたしと溶け合って、そして、それだけなのです。それだけなのに、間違いなく、わたしの1日を生かしたりします。当然、なんかしらの栄養となるのです。あなたの疑った「言葉」は、きちんと栄養になると思います。そして、もちろんわたし以外の「わたし」に対しても、そのように駆動してきたのではないでしょうか。
高校時代、一番近くにいてくれたUへ
あなたとの出会いは、当時中学3年生だった高校受験の面接試験の時。そこにいるだけで鼻の奥がツンとするほど緊張に溢れていた待機室で、あなたは友人と騒いでいましたね。私は落ち、あなたと騒がしい友達は受かりましたね、今考えても本当に意味がわかりません。その後、私は筆記試験をなんとか突破し無事にあなたと同じ日に同じ高校の入学式を迎えました。
あなたと私が知り合ったのはその2年後、高校2年生の時。当時、2つの難病に苛まれ、部活を休んでいた私と全国クラスの選手だったのに早々に部活を辞め、帰宅部だったあなたと仲良くなったのは今考えれば必然でした。あなたは絶対にそんなこと認めないだろうけど。
あなたは本当に言葉遣いが汚くて、毎朝ニコニコしながら「おはよ〜」と挨拶しても、名前を呼んでも、暴言しか返ってきませんでした。クラスメイトは私をちょっと心配した目で見ていたような気もします。でも、そんなあなたを私は誰よりも信用していたし、頼りにしていました。だって、優しい言葉は一つもくれないけれど、いつも私を助けてくれたから。嫌なことがあった時、結局最後まで付き合ってくれるのは、他のクラスにいた恋人ではなく、あなただった。
何を言っても何をしても、暴言を吐かれて突き放されるから、もう何も怖くなくてどうせ嫌われてるからいっか〜〜という気持ちで、何でもかんでもあなたには言えました。
病気のこととか、無害なふりをして足を引っ張ってくる女友達のこととか。あなたの前では髪がボサボサでも気にならなかったし、顔がパンパンになるまで泣いても平気だった。
助けを求めたことはなかったけど、何度も「しょうがねえなあ」って言ってくれましたね。
3年も同じクラスになって、またお前かよってさすがに私も思いました。一番覚えているのは、放課後お腹が痛いって動けなくなっていたら荷物を持って返ってくれて、家まで届けてくれたこと。あの時は本当にお腹が痛くて何にも考えられなかったけど、いつも雑な扱いをしている好きでもない女に対して、意味わからないくらい優しかったんですね、あなたは。
よく考えたら、2人で遊んだ記憶がないです。毎日会えたから、連絡もそんなにとってなかったですよね。高校卒業後はあなたは浪人で私は進学したし、その後も、1回だけ大人数でふざけて電話をかけてきたくらいでSNSも繋がってなかったし本当に全然何もなかったね。
2年前、夜散歩してたら急にあなたの声が聞きたくなって電話しました。出てくれなくて、当たり前かって思ってたらかけ直してくれましたね。「ドラマ見ようと思っていたのに、なんでお前と電話しなきゃなんねえんだよ」って言いながら3時間くらい電話に付き合ってくれましたね、冷静に笑えます。その時に話したことは、やっぱりほとんど暴言だったけど、「体調は平気なの?お前病気じゃなかった?」って聞いてきた時は、すごく驚きました。覚えててくれたんですね。あなたを信用して頼って、あなたのそばにいてよかったと思いました。
そこからまた何もなかったけれど、つい先日「同窓会の連絡きた?クラスLINE抜けてたから連絡した」って私のこと大嫌いなのに何言ってんだこいつって思いました。でも、嬉しかったです。行かないけど。あなたも同窓会なんて、行かないでしょう?
友達ですらなかった大嫌いでとてつもなく優しかったあなたへ
こういう関係はきっと、世間には友達以上未満とか言われてしまうんでしょう男女に友情は成立しないとか言われてしまうんでしょう
私は、あなたとの関係に名前をつけたくないです
私にとってあなたは「関係に名前をつけたくない関係だよ〜☆」
なんて言ったらあなたはまた「お前、まじで黙れ」っていうんでしょうね
ありがとう。
恋かはわからないけど、きっと、大好きでした。
あなたとは、数年のブランクがありつつも、なんだかんだ長い付き合いとなりましたね。もう30年近く生きたから、いくつかの恋愛はしてきたし、わたしはこれまで関わった人たちのことは大体わりと好きなのだけれど(いわゆるみんな違ってみんないい)、もし誰かひとりにラブレターを書くなら?と考えたとき、最初に思いついたのはあなたでした。
山と川と公共施設と、居酒屋と7割の民家しか息をしていないような、あんな何もない街で育ったわたしたちが、渋谷スカイから派手に明るい東京の街をともに見下ろしたのは、面白い体験でした。あなたも、「これをいっしょに見る日が来るとは思わなかった」とボヤいていましたね。もしかしたら、わたしたちはまだどこか、あのつまらない故郷を引きずっているのですかね。じぶんに東京の街ってほんとに似合わない、って思いませんか?わたしは思います。生まれながらに暗い魂を無理やり鮮やかさにねじ込むような、そんな違和感がありませんか。わたしたちはほとんど言葉を交わさないので、わたしは勝手に、もしかしたら似た者同士なのだろうかと思ったのです。しかし、ほとんどの場合その予想は外れます。
高校生のあなたが、あのどこまでも澄んでいるふりをしてギチギチの壁に囲まれた街から出て、わたしの知らない別の街(それはそんなに遠くないはずなのに)で音楽の修行をしていたことは、素直に感心します。そのころのわたしは、親の顔色ですべてのことを判断しながら、異常に自由に憧れていたから。もちろん、いま思う自由とはすこし違うものです。もっときれいで、もっと幸福で、それは完成しているから、そのままエンドロールが流れても構わないような、そういう自由を想像していました。そんなことばかり考えながら、あなたがわたしの自由を担う何かに見えてしまって、憧れて憧れて、触りたくてたまらなかったです。
きのう、Instagramのストーリーにあげていたバンドでの演奏、みました。やっぱり、なんにも楽しくなさそうな目でドラム叩きますね。それでも、全身でのリズムの取りかたとか、癖づいた絶妙なレイドバックとか、まるで何故あなたがたったひとりでも街を出ていけたのかが、すべてそこに詰まっているようでした。わたしはあなたと同じように感じてみたいけれど、それは叶わない。その、なんにも楽しくなさそうな目になるためのシステムを、わたしが理解する日が来ないということは、なぜこんなにも悲しく幸福なのでしょうか。
わたしは音楽をしたり、人前で裸になる仕事をしてみたり、文章を書いたりするなかで、わたしのみた幸福を再現する方法を模索していました。他人にも伝わる方法を。けれど、わたしは頭が悪いので制御できないものが多すぎて、じゅうぶんな時間を身体は耐えきることができなくて、ふつうに不器用だし何もうまくいかなくて、きっといまのわたしに出来ることは悲しいくらい決まっていたのだと、理解しました。人間が、数式で自然をデザインしながら生きるものの、どこかでその圧倒的な力に当然のごとく負けてしまうように(しかし地球や人類と、わたし一人の話では、スケールも協力者の数も違いすぎる。地球を諦めてしまえばわたしたちは死ぬ)。
あなたに何かを伝えようとすると、こんなふうについ喋りすぎてしまって、じぶんの話になってしまう。あなたに話しかけているのか、わたしに話しかけているのか、分からなくなってしまう。きっと、あなたにだったら伝わるかもしれないって、どうしてもそんな期待があるんでしょうね。わたしたちがふつうの恋人同士みたいに共に生きる姿は想像できないけれど、お互いずっと旅をしていきましょうね。あなたは、それが終わる日まで音楽を続けるのでしょうけれど、さっきも言ったようにわたしはあまりにも小さすぎるので、こうやって、あなただけに向けて言葉を置いていくくらいが、ちょうどよいのです。
お久しぶりです、と言えばいいのでしょうか。突然にしか話しかけられなくてごめんなさい。
言葉を書くのは自由だと思えたから、こうして画面を撫でています。しかし紡ぐほどに消してしまう。さっきまであった言葉が左に向けて消えていくのは、一度だけデートさせてくれたあなたが別の人と付き合っていたのと同じように僕の前のひとつの現実だと思えて大切です。本当に書きたかったことが書けずに、言っても言わなくてもいいことしか言えない自分が憎いです。だけどあの日に雨宿りした時間のおかげで日々を愛することができるようになれたのだと思います。本当にありがとうございました。いつか「久しぶり」という言葉が聞ける日があったら、嬉しいと思っています。
あの日、海の上みたいな場所で潮風に吹かれながら旅をすることを許してくれたことに感謝しています。そこにはたくさんの作品と、一冊の本があって、それだけを頼りに歩くことが許されていた。そんなことはこれまでの人生にはなくて、ふつうにかんがえると不自由なことが最大の自由になるんだと教えてくれたのがあなたでした。
その本は青かった。図面みたいに上下左右に引かれた線のあいだに言葉があって、それが私と海の関係を何度も再定義してくれる。沈黙する。色々ないきものがいる。遠くには人影が見えるけれど、そのすべてが俯いていた。だからみんな一緒なんだと信じることができたし、旅をすることが許された。
そして今は、東京のビルのなかで話を聴くことができる。それは大切な過去を再定義してくれるから、まるで背筋を撫でられるような緊張感です。だからこそ、もっと聞きたいと思えるし、もっと旅をさせてくれるんだと信じられる。
なにかを信じられる自分がいることを教えてくださって、本当にありがとうございます。