鑑賞者たちのために

布施琳太郎


黒瀬陽平によってキュレーションされた展覧会『「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめてはいません。」』を見に行った。第一から第三会場までのすべてを鑑賞した。

まず断っておけば、このテクストは、現在進行中のいくつかの訴訟について解釈を加えるものではない。なぜなら僕が感知し、干渉できないところに一連の訴訟があるからだ。
しかしひとりのアーティストとして、作品制作を軸としながらキュレーションや執筆を行う布施琳太郎として、それらの訴訟について何も思わないまま今日まで生きてきたわけではない。

この展覧会に足を運んだのは、とてもシンプルな動機に基づいている。10年以上前、ひとりの高校生として黒瀬陽平のテクストや実践と出会い、それに影響されながらも、一度も共に仕事をしたことのない自分は、そうだからこそ、自分のように彼の表現から何かを受け取りながらアーティストや批評家、キュレーターなどにはならなかった純粋な鑑賞者たちに対する何らかの責任が果たされているのかを確かめたかったのだ。
しかしそもそも数年の沈黙を破った黒瀬陽平のテクストを中心として本展の告知が出された時点で、僕は、鑑賞者たちの感情や理解が置き去りにされていると感じた。その憤りは本人に個人的に送信したが、あくまで個人的なメッセージなので内容についてはここに記さない。

僕が重視しているのは鑑賞者たちの居場所である。それは芸術実践に触れた経験が、自分のなかの不安や整理のつかない感情、把握不可能な世界などとの出会い直しを通じて、それらと向き合うためのきっかけになったことのある人々のことだ。ペンを取らず、人前に立つことのなかった彼ら、彼女らの居場所についての危惧が、このテクストの執筆理由である。

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このテクストは、本展に対するレビューや批評を目的として書かれたものではない。なぜなら、本展が、そうした「文化的な」議論の俎上にあげるために必要な手続きを経た展覧会だとは思えなかったからだ。
文化的であることは、作品の作り手やそれを支える多様な専門家だけでなく、あくまで鑑賞者の存在があってはじめて可能になるのだと僕は考えている。仲間たちの人数がどれだけ多くても、それはそれだけで文化となるのではない。必要なのは偶然的な出会いであり、それがなければ文化ではない。
しかし本展のキュレーターである黒瀬陽平は、文化的な試みにおいて最も重要な鑑賞者に対して、展覧会と前後する一連のプロセスにおいて説明不足だった。そう僕は思っている。だから本展の展示作家たちには申し訳ないが、展示作品については一切触れないが、それは彼ら、彼女らの作品が黒瀬陽平に帰せられるべき責任とは異なるところに存在していると考えているためである。

ここで言う鑑賞者とは、アーティストでなければ批評家やコレクターなどでもなく、アーティストになろうとしたこともなく、ただ表現に触れることに喜びを感じたり、救われたりした/するかもしれない人々のことを指す。そして黒瀬陽平は、これまでの芸術実践において、既存の枠組みから離れたところで多様な鑑賞者をつくってきた。おそらく黒瀬陽平やカオス*ラウンジの表現は、名前のない感情や生きづらさに光を差し込ませたこともあったはずだ。10代の僕がそうした経験をしたことは否定できない。

しかし今回開催された展覧会は、そうした鑑賞者たちの期待に応えるものではなかったのではないだろうか。なぜなら、この展覧会は、黒瀬陽平のことも、一連の訴訟のことも、現在の美術シーンについても、「何ひとつ知らない人々」がまったく想定されていないように思えてしまうのだ。言い換えれば、何も知らずに訪れる鑑賞者が想定されていない。「お分かりでしょうけれど」という文言は、「はじめまして」の対極に位置するものなのだ。この文言が引用なのだとしても(そもそも似たニュアンスのなかで引用の位置を変えることはできるはずだ)、何重にもはりめぐらされた意味の重ね合わせを読み解くのは「何も知らない鑑賞者」ではなく、何かを知った人々だろう。僕にとって、それは文化ではない。

そうして居場所を持たされなかった鑑賞者たちのことを考えたとき、本展を文化的な議論の俎上にあげることができないと僕は考える。だから美術関係者ではなく、そうした「鑑賞者たち」のために、このテクストは書かれている。

つまり何らかの芸術実践に「あなた」が救われたとして、その作り手や送り主の言動や行動に不審や不安を抱かなくてはならなくなってしまったとして、その負の感情の責任は決して鑑賞者たちが背負うものではないと僕は思う。責任を果たさねばならないのは、その物語をはじめた作り手や送り主なのだから。
つまり「私たち」のような作り手(アーティストや批評家、コレクター、ギャラリスト、キュレーター)は、顔も名前も持たない鑑賞者たちの自由と尊厳こそを守る必要がある。「顔も名前もない」という表現は、あくまで私たちの側からしてみるとそうであるだけで、実際には彼ら、彼女らにはそれぞれの生活や人生があるのだが……その自由と尊厳を守ることが文化的実践を行う人々の責任であると僕は考えている。

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本展の前に黒瀬陽平がキュレーションした『TOKYO2021:un/real engine 慰霊のエンジニアリング』についてのレビューを僕は書いた。そうであるにもかかわらず、僕は、一連の状況について沈黙してきた。
その沈黙は怠惰だったのだと思う。しかし、正直に言えば、どうしたらいいのか分からなかった。恥ずかしいことだ。彼と共に仕事をしたこともなければ、教えを受けたこともない自分が、何を言えるのか分からなかった。しかし黒瀬陽平の活動に大きな影響を受けて自分が自己形成をしたのは事実だった。そして自分が清廉潔白な人間だとは思えなかった。「どの口が」という言葉が脳内をよぎった。第三者のままで誰かの過ちを糾弾することができる綺麗な人間には思えなかった。

だからこそ美術における組織運営とはどのようになされるべきなのかを考えるために、編集者や友人に協力してもらって、公私を問わず様々な意見を聞くために奔走したりもした。
そうして自分の展覧会やプロジェクトのなかで、何か根本的な過ちが起こらないような仕組みを考えてきた。まずは実践して、確かめるべきだと考えたのである。だけどそれでも誰かに過剰な負荷をかけたり、迷惑をかけてしまった。それだけが僕の罪ではないが、そんな自分が何かを言えるのだろうか。

しかし、そうした逡巡は個人的なものである。それが翻って不必要な沈黙の理由になってしまっていた。それでも考え続けた。空間とは、密室における暴力とは何かを、視野をひろげて考えた。
そうしていくなかで最終的に、大切なものとして思い至ったのは、自分の活動を追いかけてくれる鑑賞者たちだった。それは顔も名前もない人々である。彼ら、彼女らは同時代だけでなく、遥かな未来にまで遍在するパブリックだ。一連の出来事を踏まえて、最も大切にすべきはそんな人々だと思った。そうした人々が自分ごととして表現を受け取るために、私たちは必要な説明をしたり、筋を通したりしなければならない。
そう考えるからこそ、僕は、『「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめてはいません。」』を見に行った。だがそれは最終的には鑑賞者たちの居場所を失わせるものだったと「僕は」感じている。

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僕にとって、芸術を含む文化全般とは、異質なものたちが言葉を交わしたりコミュニケーションするためにある。場合によっては、言葉すら通じず、前提とする歴史認識も異なるような人々が交流するためにある。それが文化だ。
だから同質な人々や目的を共有した仲間たちの共同、あるいは世代的なリアリティや美意識の発露は、根本的には文化的ではない。それが現在の僕の基本的な考え方だ。そうした集団が置き去りにするものこそが鑑賞者たちの居場所なのだから。

鑑賞者たちのいないところに文化はない。作り手だけでは文化は作れない。そして今回の展覧会には鑑賞者たちの居場所がなかった。そう思えた。そのとき、これまでの僕の沈黙は許されないと思うようになった。
黒瀬陽平の活動に希望を見出し、足を運び続けた人々の感情はどこに向かえばいいのか? その糸口を彼自身が示さないのなら、誰かがそうした鑑賞者たちの居場所について考えなくてはならないだろう。

僕はアーティストだから自分の実践のなかで思考できる。しかしそうではないとき、人々はどうしたら良いのだろうか。

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有志たちの手で、オープンレターが送られている。この試みは必要なことだと思うし、黒瀬陽平は自身の言葉で返答すべきだと僕は思う(このテクストに明確なメッセージがあるとしたら「返答すべきだと思う」という点だけである)。しかしそれもまた、オープンレターを準備した彼ら、彼女らと黒瀬陽平の対話のためではなく鑑賞者に対する説明責任を果たすきっかけとしてである。

しかし僕はオープンレターにサインをしていない。しないと思う。それは繰り返しになるが、僕が、自分自身に対して、こうして複数人が名前を連ねるレターに名を連ねることができるほど潔白だとは思えないからだ。また、もう一点付け加えるなら、黒瀬陽平だけでなく藤城嘘に同時に公開で質問することがどの程度の正当性を持つのかが分からないからでもある。

そしてこれも繰り返しになるが「オープンレター」という手紙が公開で送られるとしても、そもそも顔も名前もない鑑賞者たちの居場所こそが重要だと僕は考えており、オープンレターという形式自体は鑑賞者たちの居場所を直接に再考するものではないからだ。つまりここで焦点となっているのは美術業界の問題であり、鑑賞者たちの生の問題とは本質的には無関係に思える。しかしこの無関係さの指摘は、オープンレターという形式を否定するものではない。

以上の理由から僕はサインをしないが、このオープンレターに返答することは必要だと思う。そうでないならこの手紙は、ここに名を連ねた人々と黒瀬陽平や藤城嘘の決別の機能しか持たなくなってしまうのだから。そうした状況において置き去りにされるのは、一度は形作られた鑑賞者たちの居場所である。

そんな景色を見たくはない。

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鑑賞者たちに言葉を尽くすのは難しい。しかしそれでも、僕は、あなたたちのために文化や芸術があるのだと言いたいし言い切りたい。決してアーティストをはじめとした関係者の生存のために文化や芸術があるのではない。

それだけだ。それだけが言いたかった。生じてしまった傷に適切な処置がなされることを祈りつつ、鑑賞者たちの居場所についての言葉をここに残す。
鑑賞者たちの居場所が軽視されつつあることに抗するために、このテクストを僕は発表する。届いたという確証を得られることはないだろう。それでも、鑑賞者たちがいることの重要性を忘れないために、このテクストを公開する。

2023年9月6日