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「ようこそ雄勝町へ」——海岸線の美術館の第一印象について

布施琳太郎

このエッセイは、かつての僕と同じように、東北へ行くことが旅行でしかない人々が「海岸線の美術館」へと足を運んでみたり、その活動を応援するキッカケになればと願って書かれました。

執筆のすべては、海岸線の美術館を立ち上げた髙橋窓太郎さんと安井鷹之介さんに導かれて訪れた現地での経験に支えられています。また雄勝町の歴史や食を教えてくれた横江さん、大和家の方々との出会いによって筆を取りたいと思いました。感謝しています。もちろん僕がまだ会ったことのない方々が積み上げてきたものも沢山あるでしょうし、まだまだその断片としか触れ合えていません。

それでも旅の経験を記しておきたい。二度の短い滞在をしただけの僕なりの、壁画との出会いを書きたい。これ以上雄勝に通ったら「旅行記」は書けなくなるだろうから。

1、前日譚

高速道路から降りていくとき、左折した車がゆっくりと減速する瞬間は、どうしても心が浮き足立ってしまう。旅を感じるからだ。まだ自分がどこにいるのかも不明瞭なまま、ゆっくりと景色が変わりながら雄勝町に入って行った……2024年6月のことである。

少し時を遡って、去年の秋ごろ。東京都内の「元映画館」という場所で小さなイベントがあった。イベントが終わって映画館に併設されたスナックでワイワイしていると、そこに髙橋窓太郎さんが現れた。

水色のチラシを渡しながら「見にきてよ、美術館やってるからさ」と言って、俺が館長なんだと笑う窓太郎さん。海が見えなくなってしまった港町の防潮堤(とにかく大きくて多い)に土地の景色や漁師を描いた美術館があるのだという。普通だったら床や天井も含めて美術館だけど、海岸線の美術館には壁しかない。今は安井鷹之介さんがひとりで描いているという。

神奈川県の海沿いの街で育ったからなのか、僕は海が好きだ。そして何だかんだでこの10年間は毎年東北のどこかを訪れていた。だから「何か機会があったら」とは思ったけれど、その時点では記憶の片隅にしまっておくだけの偶然の出会いだった。

でも、それから月日が経ったある日の夜、西日暮里の居酒屋に突然呼び出された。多田恋一朗からの連絡である。多田とは最終的に海岸線の美術館で壁画を一緒に描くことになるのだが、そんな未来のことは知らないままのれんをくぐると、そこには鷹之介さんと窓太郎さんもいて、海岸線の美術館について語り合っていた。「いつだったら来れる?」。そう聞かれながら急速にスケジュールが組まれていった。いつだって面白いことは突然起こる。

鷹之介さんから言われたのは「まず震災遺構となった大川小学校を見てから美術館に来て欲しい」ということだった。その時期、多田恋一朗が先輩から車を買ったので、それで行くことになって、できるだけ多くのメンバーを集める。同乗者のなかには僕や多田と同じく壁画を描くことになった米澤柊もいた。

2、大川小学校と海岸線の美術館

2024年6月7日。始発に近い電車で多田の家に集合した僕たちは、コーヒーやパンをコンビニで買って走り出した。鷹之介さんに言われた通りに大川小学校を目指して、カーナビで住所を検索する。

しかしこれが間違いだった。多田の車は10年以上前に発売されたものでカーナビがアップデートされていなかったのだ。震災後につくられた道の情報などが反映されていないのである。でもなぜか同乗者たちはそのことに気がつくこともなく、音楽を流しながら雑談をしていた。想定よりも多くの時間がかかる。当たり前だ。道が違うのだから。

宮城県に入ってしばらくしてからだったと思うが、ようやくGoogleマップを使うべきだと気がついた僕たちは、どうにか高速を降りて一般道に入る。そして景色のなかに小学校のシルエットを見つける。郊外のスーパーのようにひらけた駐車場に車を止めて小学校に近づいていく。あまりに平らにならされたアスファルトを歩く。渡り廊下はねじれているし、津波によって激しく移動した瓦礫によってプールの底面には白い傷跡が刻まれている。コンクリートが割れて鉄骨が剥き出しになっている。小学校と駐車場のあいだの資料室のような建物には、震災以前の小学校が家屋に囲まれていたことを伝える写真が置かれていた。

かつて人間が生きていた痕跡を消すように、人間によって作られた平たい景色があった。身勝手だとしてもそう感じてしまう。震災後に付け加えられたものは徹底的に四角くて、震災によって崩れた小学校だけが様々な曲線を残していた。

そんな景色を見ながら、さらに車を走らせる。するとカーナビの画面にガソリンスタンドやコンビニなどの情報が表示されているのに気がつく。しかし目の前にはただ均一な緑と黒いアスファルト、白いガードレールがあるだけだ。僕たちと違ってカーナビだけが2011年以前の景色を知っているようで、車内が静かになる。

そうして走る車がトンネルを抜けた。「ようこそ雄勝町へ」。旅人を迎えるように看板が立っていた。まだカーナビは過去を表示していた。

3、海岸線の美術館へ

正直、感動した。色があった。空が、海があった。

車を走らせる僕たちが「ようこそ雄勝町へ」という看板の横を通り過ぎると、人間によってつくられた無機質で灰色の防潮堤が車道や民家を守っているのが窓越しに見えた……のだが、その均質さのなかに、まったく異質なものが現れたのだ。

そこにあったのは壁画だった。大きく長い防潮堤の、津波に打ち勝つための異様な高さいっぱいに、輝く太陽に包まれた景色があったのである。夜のようだが太陽に照らされているようだし、日没のようだが日の出を描いたようにも感じられた。安井鷹之介が海岸線の美術館で最初に手がけた壁画『THEORIA | テオリア』である。

2022年の秋に手がけられたという本作は全幅50mを超える。アーティストとして活動してきた僕は、そんなサイズの「作品」をつくったことがなかった。というか東京で生活する僕の家が何十個も並ぶよりはるかにスケールが大きい。「すげえ」と漏らすしかできない時間はアーティストとしては悔しくもあったと思う。作品そのものが建築的、いや建築以上の強度で視界を覆い尽くす。ゴツゴツした表面に触れてみると乾いたペンキが少しだけやわらかく感じられた。この壁たちは「美術館」と呼ばれている。

本作は、現実に存在する景色をベースとしているが、この絵に描かれたのと同じ景色が現実にあるわけではないらしい。

雄勝にはリアスの地形からなる独特な移動体験がありました。 各地区・浜間を移動するには、海側→山→海側というルートを通るのですが、その際に山の中の木々の隙間から見える対岸や水平線の見え方に魅力を感じ、”抜けの窓”をいくつも設ける構成をベースにしました。


これは鷹之介さん本人による作品解説からの引用である。いくつもの景色の——しかも移動のなかでシーンが変わるように飛び込んでくる景色の——重なり合いにかたちを与えること。そうした試みが芸術のためではなく徹底的に雄勝のためになされたことは、明らかだった。

僕がすばらしいと感じたのは「海が見えないから海を描く」のではなく、海の前で空を見上げる体験を描いたように思えたことである。

海の前にいるのか、そうではないのか、で、空の見え方は違う。「空はひとつ」なんて都合の良いだけの言葉は幻想だ。別に国内に限らず、同じ空の下で笑っている人もいれば、苦しんでいる人もいることを僕たちは知っている。それでも防潮堤によって海の景色が遮られた場所に、当の防潮堤の表面に、ひとつではない空の色を描きつけること。「海の前で見上げた空の色」と向き合うこと。朝と昼と夕を同時に描くこと。それは安井鷹之介が、徹底的に四角い資材の組み合わせでつくられた工業的な景色だけでなく、そこに住んで生きる人々や動植物と向き合った成果だろう。

「海を描く」というより、海に囲まれたリアス式海岸に特有の、移動のなかで「変化し続ける景色を描く」ために、本作は徹底的に横長でなければならなかったのだろう。そのためには「体力が必要だ」と鷹之介さんは語っていた。走り込みもしたというし、漁師の人たちと同じように陽が昇る前に起床して、壁と向き合いながらペンキを塗りつけることで『テオリア』は描かれたのだという。

だけどもちろん、これは美術館である以前に防潮堤である。しかし防潮堤を、ここで暮らす人たちのものにするためにこそ、壁画があって、それが美術館と呼ばれているように思えた。そんな綺麗事が簡単に実現できるわけないだろうし、こうして何かが出来上がった後に訪れるしかなかった僕ではあるのだが、それでももっと知りたいと思えた。

4、ひとりでは描けない絵

壁画『テオリア』の下地は、鷹之介さんだけでなく地域の子どもたちが集まって協力して塗ったのだという。当時の写真を見てみると、子どもが手を伸ばすことのできる高さが、そのまま水平線になって、海が、軽やかな水色で塗られている。その上から鷹之介さんは壁画を描いた。子どもたちが塗った海の向こうにひろがる空と、海の手前の雄勝の木々や大地を描いたのである。

子どもたちのストロークを優しい厳しさを伴って包み込むように、近景と遠景がひろがって壁画になっている点において、『テオリア』が海岸線の美術館の一作目であることを僕は素晴らしいと思った。

筆によって絵具を塗りつけることが、一定程度は、誰にでもできることこそが壁画の可能性なのだ。近くから見ても、遠くから見ても『テオリア』には無数のストローク(筆跡)が踊るように残されている。これは写真みたいな絵画ではない。だけど、だからこそ壁画の可能性を感じさせられる。

そして『テオリア』における子どもたちの参加は、たんなるワークショップではない。むしろ都内のアトリエで培ってきた鷹之介さんの描き方が、子どもたちが芸術制作に参加する大らかさを、そもそも持っていたことが明らかになるようでもあった。いや、アーティストの技術というのは、こうして様々な状況で試されることで、その本質が明らかになるのではないだろうか? そんな風にも感じてしまう。

海岸線の美術館は、何よりもまず雄勝のためにあるのだが、それと同時に都会的な閉塞感のなかで、どうにか自分の表現を探求し続けるアーティストたちが持つポテンシャルを解放する点でも価値あるプロジェクトだと思う。

もしも水色の水平線のために子どもたちが汚れながら笑っていなかったら、それを受け入れる大らかさを鷹之介さんの表現が持っていなかったらと想像してみよう。そのとき本作における鷹之介さんの絵具さばきは、都会的なアートマーケットで重宝される「ペインタリー」という言葉(絵画が絵画らしくて趣味が良い、といったニュアンスで使われる)に飲み込まれてしまうのではないか。ペインタリーという褒め言葉は、作家個人がつくり出した作品が商品として価値を持つ、というだけのことだ。しかし『テオリア』はまったくもってそんな作品ではない。むしろかつて都内のギャラリーで見た鷹之介さんの作品よりも、「しかるべき場所」にあるようにすら感じてしまう。

そうして思考を巡らせながら、海岸線の美術館が、美術館として最も特殊な点は、「ひとりでは描けない」という当たり前すぎる条件だと思った。

それはサイズの問題だけではない。今後、海岸線の美術館に並ぶことになるすべての作品は、アーティストの独りよがりであることは許されない。ハコ型の密閉空間である美術館と違って、住民たちが毎日見る防潮堤に何かを描くのだから。

5、「海を見ている」を見ている

こうした点で、さらに僕の胸を打ったのは、その横に並ぶ壁画たちだった。ひとつは『テオリア』と同年の作品で、海と向き合う漁師の背中を描いている。これは現地で鷹之介さんが知り合って交友を深めた大和家の父・恵一郎さんの背中だ。この絵で鷹之介さんは、大和恵一郎さんの背中を通じて、恵一郎さんが見つめる海を描いている。

ここでもやはり、鷹之介さんは、直接には海を描いていないのだと思う。しかし『テオリア』よりも海へと接近している。恵一郎さんと一緒に船に乗って、海を見ている姿を見て、そして描いているのだ。

僕はこれらの壁画を通じて「海を見ること」が一朝一夕でできることではないのだと教えられたように思える。「海を見る」と口にするのは簡単だが、そのためには出会いと汗、思考と観察が積み上げられなければならない。だけどそうして描かれた壁画を通じて、鷹之介さんが描いた作品を前にすることで、まだ旅人に過ぎない僕たちもまた雄勝との関係をはじめられるように思えた。

二枚の壁画が完成した翌年、これらのあいだに、もうひとつの壁画が描かれた。2022年の壁画完成披露会の際に地元の方から渡されたブーケに胸を打たれたという鷹之介さんは、すでに描かれた「風景画」「人物画」に対して「静物画」に挑戦することにしたという。それが三枚目の壁画だ。漁の幸や植物たちが、輝く海の前に置かれている。この作品にいたって鷹之介さんは、地元の動植物と海を、同時に眼差して描くことができたように思える。

雄勝には、安井鷹之介による作品が、既に他にもたくさんある。しかし、そのすべてを言葉で語るのは野暮だろう。まずは一枚ずつの壁画を巡りながら「海を見る」という人間の営みをやり直してみて欲しい。そしてそこには色々なアーティストの作品が加えられていく。いつか、この美術館が数え切れないほどの壁画によって彩られるとき、そこには、アーティストたちの「ひとりでは描けない」が集積されていくのだと思う。そんな美術館は他に例がないし、途轍もないことだと思う。

もしも半分部外者の自分が、こうして旅行記を書くことで、僕と同じように東北へ行くことが旅行でしかない人々が「海岸線の美術館」へと足を運んだり、その活動を応援するキッカケになれば幸いだ。しかし、こうして書くことができるのは常に断片的な情報である。だからやはり実際に足を運んでみてほしい。

そして、海で獲れたもの、その街の暮らしを垣間見せてくれた大和家のみなさん、そしてこのエッセイではちゃんと触れることのできなかった横江さんに、あらためて感謝したい。この感謝を「ひとりでは描けない」ような芸術で返すことができるよう、頑張りたいと思っています。

2024年9月21日